CONCEPT

「撫松庵」

「ファッションとしてのきもの」「モードとしてのきもの」「日常を彩るきもの」

「撫松庵」イメージ

1977年、和装業界初のトータルコーディネイトブランドとしてスタート。当時、帯は帯、着物は着物と別々のメーカーで作られていた中、トータルコーディネイトによるスタイリングを業界初のプレタきもので表現。「着る人が主役」を提案し、毎日ファッション大賞特別賞、繊研大賞を受賞。

嵐山 撫松庵 イメージ

嵐山 撫松庵 日本画壇の雄である川村曼舟画伯が、画室を設けていた明治の頃、恩師である山元春挙先生の詠まれた名句「松ヶ枝を 撫でつつ月の 渡りけり」にちなんで「撫松庵」と命名された由緒ある庵。門には北大路魯山人の書による「撫松」の看板が掲げられています。

  • 「扁額」北大路 魯山人
    「扁額」北大路 魯山人
  • 「掛け軸」山元春挙
    「掛け軸」山元春挙

川村 曼舟 かわむら まんしゅう
明治13年(1880)〜 昭和17年(1942)
日本画家。京都生まれ。本名、万蔵。明治31年(1898)、山本春拳に入門。
大正11年(1922)、京都市立絵画専門学校教授となる。
昭和8年(1933)春挙没後、画塾早苗会を継承。
昭和11年(1936)、京都市立絵画専門学校校長。
師春拳の色彩豊かで写実的な画風を継承しつつ、瀟洒(しょうしゃ)で繊細な詩情味ある日本の風景を描く。

「扁額」北大路 魯山人 きたおおじ ろさんじん
明治16年(1883)〜 昭和34年(1959)
篆刻家。陶芸家。美食家など数々の顔を持つ。京都生まれ。
明治37年(1904)日本美術展覧会で一等賞を受賞し、頭角を表す。
明治41年(1908)から中国北部で旅をして書や篆刻を学んだ。
1955年には重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されるもこれを辞退。

「掛け軸」山元 春拳 やまもと しゅんきょ
明治4年(1871)〜 昭和8年(1933)
日本画家。滋賀生まれ。野村 文拳に師事し、後に森 寛斎に師事した。
明治24年(1891)竹内 栖鳳(たけうち せいほう)、菊池 芳文(きくち ほうぶん)らと青年絵画懇親会を結成。

「青々庵」

あるデザイナーの色選びから始まった青々庵。おしゃれな女性が無言で個性を語れる色無地を。色あいは渋くて派手。着こなし次第で地味にも派手にもなる。色無地の常識を破ったダークな三十色のきものからスタートしました。

■和装小物・青々庵 本格的に和装を楽しみたい方のために各老舗メーカーと取り組みながら、現代に合ったセンスの高い和装小物をセレクト、開発しました。選りすぐりの上質な和装小物たちをお楽しみください。

「青々庵」イメージ